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『戦争の傷跡は消えることはない-2』

『戦争の傷跡は消えることはない-2』10.03.11

明後日は65年前の3月13日です。
家を出た途端、目の前に真っ赤な炎が見えました。
近隣の家屋が、街中が猛火に包まれていました。

爆弾が爆発する度、
その爆弾から無数の小型爆弾が飛び散り爆発して
火炎が発生するのです。親子爆弾だったそうです。
くぐり抜けながら何度か燃えている黒こげの
電柱のようなものを跨(マタ)ぎました。

学校(西区西六小)のような門に入りました。
学校も炎上していました。さらに逃れました。

途中の防空壕に飛び込みました。
壕の中は暗く蒸し暑く息苦しかった。
懐中電灯を点けました。すぐに追い出されました。
灯りを消せというのです。
他の町会以外の者は入れてくれないのです。.
近所の大きな屋敷の防空壕では
その一族が消滅したそうです。

河の堤に下りました。川面が燃えているのです。
長堀川だったそうです。
もう行き場はありません。
ただ逃げ場を求める人の群れについて行ったようです。

広い大通りの角の丸い形の建物の前を通り過ぎました。
その建物は四ツ橋通りと長堀川の交差点に建っていました。
電気科学館でした。

米B29爆撃機は、風上から攻撃したそうです。つまり
大阪の木造家屋を消滅させるべく、
港区の大阪湾側から爆弾を投下して、
絨毯爆撃を繰り返したそうです。
その後の記憶はもう残っていません。

戦後、母と自宅の前で佇みました。
玄関前の防火用水以外なにも残ってはいません。
家屋は見当たりません。
付近の地上は瓦礫の残渣でした。

風呂場みたいな四角い形の跡が見てとれました。
見渡す限りあたりは廃墟の跡でした。

兄と姉と父の事を話しておきたいと思う。***

わたし達が住んでいた処は大阪市西区立売堀で、
戦前付近は鋼材・工具の問屋街だったそうです。
下記は立売堀西六小学校空襲状況の先生の詳細な記録です。

大阪大空襲 
http://www4.osk.3web.ne.jp/~takeyo/history_doc.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2
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テーマ : これでいいのか日本
ジャンル : 政治・経済

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