スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『戦争の傷跡は消えることはない-3』

『戦争の傷跡は消えることはない-3』10.03.12AM03;30~

家から戸外に飛び出た時は、すでに家々は火の海だった。
父に召集令状(赤紙)が届いて、
母は父に知らせるべく中央郵便局へ走ったのだそうだ。
夜中のことである。
父は姉を疎開させに田舎の石川県に連れて行っていたそう
である。
父も姉も大阪の状況を知る由もなかったであろう。

兄は市岡新生中一になった時期であったそうである。
大きなボストンバックを両手で持ち猛火の中を走った。
中には弟のオムツや着替えが詰っていたそうである。
いつの間にか、私たちの側から別れてしまっていた。

その日の日中は、二階の物干し台から空を見上げると、
上空に薄白い飛行雲がおおっていた。
昼には、ぜんざいを食べていたそうな。
食べ物はうまいものから先に食べよ、後からは無い。***


歴史の証言  http://www4.osk.3web.ne.jp/~takeyo/history_doc.html
今は無き西六小学校で大阪大空襲の日(昭和20年3月13日)
宿直をされた松尾先生が翌日校長先生宛に提出された状況報告書。
以下抜粋転載)

13日午後11時過ぎ警報発令、約15分後空襲警報となる。校内全部消灯、防火用水を点検し重 要書類を書類庫に運搬す。
防火活動万全を期して待機す。警防団員続々参集約100名となる。

11時30分頃敵機の爆音近づくと見る間に、数回にわたりて西方松島方面に花火の如く焼夷弾落 下す。
一時やや火光暗くなり消火成功なるかの如く見えしが、間もなく火光空に映じ、所々に紅連 の炎立上るに至り、やがて木津川対岸一帯、火の襖を並べたる如くになる。
その間爆音爆音の絶え間無く、次ぎに立売堀川をへだてて、広教部内に数多の投弾あり、 之亦一帯の火災となる。警防団のポンプ応援のため団員も若干出勤せし模様なり。
この間敵機はたえず頭上を飛び、何回となく校内及び周囲の民家上に投弾す
(新館窓ガラスを打ち抜き室内に入るるもの数個あり。
それぞれ商家につとめたりと後刻聞けり)ふと気づけば屋内体操場より叫喚の声しきりに聞こ ゆ。
正門2階の炎上と南側非常口近くの物置の炎上に逃げ場を失い、煙に巻かれたる
老幼者の悲鳴なり。急ぎかけつけ幼児を抱き老者を導きて南側電車道まで誘導すること数回、
その間火は木造校舎の廊下を伝って全部に拡がり、残念ながら消火の見込み立たず。
全校舎炎々と燃え、熱気のため校内に止まるを得ず。焔と煙の下をはって漸く長堀川電車道に逃 る。
川を隔てて南側堀江部内も火の海、四面全く火、川岸にありても熱気にたえられず。
之に加うるに火勢による旋風の為に飛散するトタン板、倒れる電柱、電線などに身甚だ危険な り。
一時難を避くべく四ツ橋方面に走る。途中焼夷弾の落下に遭うこと3回、焔を飛び越え漸 く
科学館前にたどりつく。音火焔、旋風、火の粉、避難者。 ***



スポンサーサイト

テーマ : これでいいのか日本
ジャンル : 政治・経済

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

asisirohana

Author:asisirohana
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。