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『戦争の傷跡は消えることはない-4』

『戦争の傷跡は消えることはない-4』10.03.12

皆、防空頭巾を被って逃げた。
母の背中の弟はよく窒息しなかったものだ。

いつの間にか、泉南貝塚の大きな農家の離れで住んでいた。
父の知り合いの家にお世話になったようだ。
多くの子供たちと畦道や田畑の間で走り回り遊んだ。
砂糖きびを採って折りむしって汁をすすった。
倉庫の中に隠れて竹ザルで雀を取り逃がした。
水のない池の縁を駆けずり下りた時、蜂の大群に襲われた。
近くの農家の大人が助けてくれ蜂に刺されたイガグリ頭に、
何か草を塗り込んでくれた。
時折、グラマン戦闘機が超低空で襲ってきた。
農家や人影にバラバラバラと機銃掃射をした。
縁側で機影を見て、弟と座卓の下に潜り込んだ。

小学一年の夏に、大阪城の東方の下町に移り住んだ。
トタン小屋での生活が始まった。***

空襲から逃げる際、母は数点の着物を風呂敷に包んでいた。
それが物々交換の生活のなけなしの素で(モトデ)であった。
母は三重・伊勢方面によく買出しに出かけた。
無論わたしは無賃で買出し部隊のあいだに身を潜めていた。
さつま芋の入ったリックには小一の背中は多くは背負えない。
警官隊がその沿線を常に警戒していた。
ある時は、深夜に母と二人で青山高原の山越えをした。
猪に脅えながら。

鶴橋駅に着いたとき、一斉検挙に遭遇したこともある。
母はわたしに見向きもせず急ぎ足で立ち去った。
背中のちいさなリックは取り上げられた。
買出し部隊からの収得物は警官隊の報酬になったと後日に聞く。
庶民の間では、戦後長い間、警察と税務署は忌避されていた。
すまじきものは宮仕えの伝承がある。

下町の大通りの闇市は多くの庶民で賑わっていた。
自然発生した路上露天での商売である。
物々交換や所持する品々を売り買いして生計を維持した。
母の側にいて買出しの米麦や雑穀や薩摩芋の商いをした。
しばしば銭箱から金品がなくなった。
明日の買出しの資金をこそ泥に背後を狙われたのである。
母親と親子で泣いた。
おかげで背後の気配を感じるようになった。

闇市には警官の姿は見えず、
進駐軍のMPとジープに同乗していた。
闇市からくものこ散らすように人々は消え去った。

小銭を蓄えた母はバラック小屋を改装して饂飩屋を営業した。
石川県の父の田舎に姉を迎えに行った。姉の手が必要だった。
貨物列車の貨車に窓はない。車掌もいない。
汽車は煙をハキナガラゆっくり走る。
しっこをするのに大人の男たちが鉄の扉を開いてくれた。
真っ黒な闇の車内で座りこみ、車輪の音だけを聞いていた。
話し声もない。皆、他人ばかりだ。
駅に着くたび大人も子供もプラットフォームに飛び出した。
何時間かかったのか誰も分からない。目的地は金沢だ。

父の田舎の駅のホームからは人家はほとんど見あたらない、
見渡す限り稲穂がたなびいていた。
.広い広い、焼け跡がない。
その間の土道を母と二人でかなり歩いた。
ある集落が見えてきた。***










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ジャンル : 政治・経済

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