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『戦争の傷跡-6』

『戦争の傷跡-6』10.03.14(日)

写真)
大空襲を受けた大丸大阪店(右奥、現・大丸心斎橋店)周辺

親父はどんな思いで戦地に向かったのだろうか。
姉は親父の田舎でなにを思っていたのだろうか。
兄はわたし達を見失ってどうしたのだろうか。

親父は姉と共に3月13日の大阪大空襲日には金沢の田舎にいた。
『赤紙令状』の電報を翌朝受け取った筈だ。
仕度のため大阪に戻ってきたのか。
焼け野原になったのも知らず、
住いや会社は跡形もなかった筈だ
女房や子供を探したのか。
あらかじめ母と打ち合わせしていたのか。
或いは、
焦土になった大阪をしらずに、直接に
金沢から応召地の千葉津田沼に赴いたのか。

舞鶴に上陸した日がS22年5月15日だ。
疎開先の貝塚に来てから、すると7歳(小二)の時に、
大阪東成のバラック小屋で再会したことになる。

軍服姿の見知らぬ男が学校から帰宅したわたしを見て、
母と笑みを浮かべて話をしていた。
いつごろもどったのか記憶にない。
わたしは帰還した親父からほとんど聞く機会もなかった。
母の生存中にも聞くことはなかった。
  ***

  3年ほど前に、
大阪シベリヤ会から厚生省に問い合わせをするように
教えられて入手した記録。
厚生省からの入手日(2007年)平成19年8月11日
 
親父の記録

『身上申告書写し』
「船名遠州丸」昭和22年5月15日上陸
於舞鶴上陸支局
(抜粋)
独立歩兵587大隊満州方25290部隊機関銃中隊八木隊
陸軍二等兵
S20年3月20日 千葉県津田沼に応召
S20年3月25日 博多出帆
同日  釜山港上陸
S20年7月06日 興安演習参加
S20年9月09月23日迄 満州勤務(身上申告書原本記載)
S20年10月03日 シベリヤ)アバカン地区収容所
S22年05月15日 舞鶴港上陸

復員後の連絡先 貝塚市王子*** *****方
大阪市西区立売堀南通6-**(立売堀5-*)

【大阪】 大阪大空襲で家族5人犠牲  65年かかった合掌 (3月14日)
写真)
慰霊碑に手を合わせ、犠牲になった家族の冥福を祈る和田さん
(大阪市西区で)
745:【社会】大阪大空襲の被災者や遺族ら、謝罪と賠償を求め国を提訴へ
http://nukohiroba.blog32.fc2.com/blog-entry-745.html


大阪空襲訴訟 ~ 戦争と空襲の被害の責任を問う裁判 ~
http://o-bengosi.hp.infoseek.co.jp/osaka-kusyu/

(写真1-21)空襲つづく写真16枚には悲惨な地上現場映像があります。
IMG_4443_convert_20100328182210.jpg
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テーマ : これでいいのか日本
ジャンル : 政治・経済

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